週末はセミナーに参加してきました。
カウンセラーの方が多く集まるようなセミナーなので、集合無意識のレベルで
つながっているような不思議な感覚な場所です。
僕は、そこで自分の体験談をお話しました。
僕の母親は長い闘病の末亡くなったので、そのことについて僕なりに
どう感じているかお話しました。
病気は不幸と単純な図式でとらえてしまうのは一面的すぎるのでは
ないか、と感じたのです。
確かに健康であることは幸せです。
でも、この世の中には病気であったり障がいであったりを有する人生を
送る方も実際に多くみえるわけで、病気=不幸というとらえ方は
どこか相手を侮蔑した視点につながってしまうかもしれません。
僕は、皆さんの前で話した後、先生が「母親が病気になることで、守ってくれたのかもしれません」とおっしゃいました。
その翌日に、ハッ。。そうか、そうなんだな。。。と思ったのです。
もちろん、科学的な根拠ってないです。
でも、母親が引き受けてくれたんだ、と思ったのですね。
そうであるなら、高いところから見守ってくれている気がしました。
よく映画で、亡くなった人がここぞというときに目の前に現れて「勇気をもて」
「自分の力を信じるのだ」とか一言いって主人公は敵を倒す、という場面がありますが、
亡くなっても生きているというか、その人の人生を支えている、ということは
あるな、と感じたのでした。
カウンセラーの方が多く集まるようなセミナーなので、集合無意識のレベルで
つながっているような不思議な感覚な場所です。
僕は、そこで自分の体験談をお話しました。
僕の母親は長い闘病の末亡くなったので、そのことについて僕なりに
どう感じているかお話しました。
病気は不幸と単純な図式でとらえてしまうのは一面的すぎるのでは
ないか、と感じたのです。
確かに健康であることは幸せです。
でも、この世の中には病気であったり障がいであったりを有する人生を
送る方も実際に多くみえるわけで、病気=不幸というとらえ方は
どこか相手を侮蔑した視点につながってしまうかもしれません。
僕は、皆さんの前で話した後、先生が「母親が病気になることで、守ってくれたのかもしれません」とおっしゃいました。
その翌日に、ハッ。。そうか、そうなんだな。。。と思ったのです。
もちろん、科学的な根拠ってないです。
でも、母親が引き受けてくれたんだ、と思ったのですね。
そうであるなら、高いところから見守ってくれている気がしました。
よく映画で、亡くなった人がここぞというときに目の前に現れて「勇気をもて」
「自分の力を信じるのだ」とか一言いって主人公は敵を倒す、という場面がありますが、
亡くなっても生きているというか、その人の人生を支えている、ということは
あるな、と感じたのでした。